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転院後リハビリ その9

みなさん、こんにちは!
右麻痺ノエルでございます。

このサイトでは、脳卒中を発症して入院、リハビリ病院に転院、半年後退院、自主リハ継続から、タイのチェンライへ移住するに至るまでの様々なことと、タイでの生活の様子をごっちゃ混ぜにして発信しています。私の様な後遺障害に悩んでいる方、入院中の人、それをサポートする方々は勿論の事、健常者で元気な人もそうでない人にも覗いてもらえれば嬉しいです。是非是非最後まで読んでやって下さいませ。


昨夜、7時ころから久しぶりにまとまった雨が降りました。で、PM2.5(煙)の減少には良かったのですが、とても風が強かったので、妻が飛んでいきそうな物を取り入れたりしてました。妻の弟が一緒に晩飯食べていましたが、彼も妻を手伝ってくれました。当然私も COGY(車椅子)や自転車などを、風雨の当たらない場所に移動させて、、、とか全くすることなく、命の水を美味しく頂いておりました。あ~、ありがたやありがたや。

「なんて横着でふざけた奴!」と思われても仕方無いですよね。でも私にはこの手の作業は厳しいのです。日暮れ後の暗闇で風雨の中、転倒せずに何かを持ち運んだりする事、特に急いでやらなければならない状況では、私の存在は “無い” 方が良い。ノロマで邪魔なんです。前に妻から言われましたから。「ノロマだし邪魔だしコケたりしたら危ないから座って待っときなさい」って。

あぁ、私の自尊心がプライドが・・・。男だったら、「ここはオイラに任せろ!おんなこどもじじばばは危ないから大人しく待ってろ!」でしょ?こういう風にやりたいんです本当は。いつか胸張って笑いながら、「どうだ!参ったか!ガハハハッ!」とやれるようにリハビリですよ。

その後、寝室で寝る準備してたら、いきなり停電です。雨は収まったので、玄関先の安楽椅子で涼みながらうとうと。部屋は暑くて眠れないんですよ。でも外は涼しくて気持ちいいんで ビール(命の水)でも なんて言ったら嫁さんから ダメ と却下でした。ちなみに昨日の気温:最高37℃ 最低23℃。

それで今朝、ルーティンの歩行練習で近所を歩いていたら、3軒の家で屋根が飛ばされたりの被害があった。今、お昼前だけど、夜までに応急措置終わらせないと今夜も降るかも、と言って突貫工事中。昨夜は、暴風雨というか “台風” なみだったんですね。屋根がごっそり持っていかれてる家、写真撮るのは止めました。当事者は大変ですから。

代わりにと言っては、稲作農家には悪いけど、収穫まじかの日本米にも被害ありそうなのでその写真貼ります。

今年2月に田植えの様子を配信した、あの田んぼです。昨夜の暴風雨で稲が倒れてしまいました。あと一週間ほどで稲刈りのはず。収穫に影響なければ良いのですが。

じゃ、転院後リハビリです。

なんか久しぶりです。今回は、言語聴覚リハビリの様子を中心に。

ST(言語聴覚士) Mさんは、”転院後リハビリ3″ で登場した34歳紳士。初回で私がこの病院に転院してくるまでをざっくり聴取されましたが、その後も幾度となく詳細を説明することになりました。これは、記憶障害の内容と言うか状態を把握するのに必要だったと、OT(作業療法士)のAさんからも説明をうけました。私だけでなく多くの脳卒中患者で発生する後遺障害に、短期の記憶障害が有ります。例えば、

・発症した時点までと、発症後から明瞭な記憶が残る人→記憶障害の後遺障害が無い人

・発症した時点までの幾つかの記憶が喪失もしくは曖昧で、発症後の記憶にも問題が有る人

人それぞれ状態が異なるけど、私の場合は後者だと言われました。自分で過去の記憶(人生の節目とかそれなりのイベントや経験etc)を辿っていくと、現在から8年以上前の記憶は、病気発症前と変わらずに残存している。通っていた幼稚園名と組名(愛心幼稚園のひまわり組)、その時居住していた住居(大阪府大東市)、担任の保母さんの名前と顔。ちなみに(ノエルの自転車免停事件)はこの時代です。引っ越して(大東市のまま。最寄りの鉄道駅名”四條畷”)入学した小学校の校名。1年生の3学期に姫路市(兵庫)に引っ越転校したこと。中学入学と福岡へ引っ越し転校(2年1学期はじめ)。等々、比較的鮮明に記憶しています。ST Mさん曰く、「幼少期から52~53歳までの記憶は問題ない」との事。皆さん、高校卒業までの担任の名前とか覚えてる?私は全員言えます。

ただ、発症3~4年前からの記憶が一部曖昧なのは良く分からないそうです。この記憶の問題は脳卒中発症前から自覚が有りました。”笑わない主治医 Dr. S” からも、「何故でしょう」だそうです。近い過去に会った人の名前が覚えられない、55歳のとき(マレーシア駐在時代)参加した慰安旅行(タイのプーケット)の記憶が無い、とか。発症前から記憶飛んでるんです。タイのプーケットと言えば世界に名だたるリゾートですよ。忘れます?普通。勿論覚えてる事の方がおおいんですよ。その前後に行った、ロンボック島やバリ島(共に年1回の慰安旅行で場所はインドネシア)は覚えてるんです。いったいどして? 退院後に自主リハで通ってた “脳神経クリニック” の先生に、ひょっとして “認知症” と、聞いてみた事あるけど、「違う」そうです。ホント変ですよね。

転院してすぐに、知能検査が有りました。知能指数テストと同一だそうです。あ、その前に記憶力テストみたいなのが有って、スプーン、ボールペン、腕時計(メガネの時もあったような)の3つを見えない所に隠します。どこかに何隠したかおぼえてろ、と。それで色々話をしたり、検査(100から7引いていくつ?そっからまた7引いたら、そんでまたまた7引いたらなんぼっしょ?そっからまたしつこく7引いて・・・)をしたり頭を使わせといて、さあ、さっき3つどこ隠したかの言いなさいよぉー。て奴とか。長々と文章を読み聞かされて今のを纏めて言いなさい、とか。もーフルに50分休む間も無かったと思う。これやった時はモーレツに頭と言うか脳みそ疲れました。

検査結果は、たしか翌日にわかったと記憶していて、Mさんからは、「スコアは気にしないで欲しいけど知りたいのなら教える」と言われたので、”もちぜひ” の回答。109でした。良いのか悪いのかさっぱりわからんと聞くと、「スコアとしては、望外に良い。短期記憶は平均的だが言葉文章の読解力と計算能力が脳にダメージを受けて3週間とは思えないレベル。たまたま良かった可能性も有るので、次回の検査を楽しみに」だって。

腑に落ちないんですよ。計算能力が良いって言うのが。小中高と算数苦手でたしか小6の時テストで、0点零点ゼロ点とどう言う言い方しても0は0のあの0点取ったことは私の誇りです。そんなですよ、私がですよ、事も有ろうに “計算能力が高い” ですと?そりゃありえんでしょ?

でもこれ考えたらわかった気がするんです。小3の初めくらいまでは算数そんなに苦手ではなかったんです。それと、就職してからこの方、ずーっと営業畑で数字に追いまくられる人生を歩んできたのも有り、頭から数字が離れたことが無かったのです。文書の読解力、日本の文学史上有名な作家などは、以前の配信でもふれた様に、趣味の一つが読書だけに少々良いのは理解できました・・・なぁーんちゃって、単なる乱読が運よく点につながったのでせう。

でも、スプーン、ボールペン、腕時計(メガネ)当てクイズは、いつも2つしか覚えてなかった。

いつものMさんリハは、右半分口周りのマッサージで始まり、発声訓練、本音読と続きます。中でも私にとって大事なのは発声訓練で、これは舌と口、唇の動きを良くする事が、食べ物の咀嚼嚥下能力回復につながるのです。前にも書きましたが、リハビリの目標の一つ、と言うか最大の目標と言っても過言ではない “自分の口で噛んで飲み込んで食べられるようになる” なので、とにかくベッドに横になっている間は、寝てしまわない限り自分で繰り返し訓練。もう訓練あるのみなのです。そのかいあって転院後二週間たたずに右の鼻の穴に刺さっていた流動食用チューブが取れました。“やったぜ!これで口から飯が食える” となったのですが、、まぁ良かったんですけど、、そんな簡単には想像してた様には行かないのでした。やはり私と言う人間、どこか楽観的過ぎると言うか、あまい、と言うか、そんな奴なんです。

それではまた次回お会いしましょう!

※これまでの配信内容は、人名以外はノンフィクションです。

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