皆さん、こんにちは!
右麻痺ノエルでございます。元気にしてましたか?ここタイ、チェンライでは、ソンクランフェスティバルが終了後、煙(PM2.5)が強烈で、長らく “PM2.5ワールドカップ” トップの座を死守していた、あの常勝 “チェンマイ” を打ち負かして、チャンプに輝くと言う快挙を成し遂げたのです さぁ、拍手”パチパチパチパチ!”。で、3日程でその座を追われました。。良かったぁ~。 多分峠は越えたものと。なので、一週間以上控えていた “COGY” でのエクササイズを、一昨日から再開しました。もう目も鼻も痛くない! 歩行訓練だけは、時間と距離を短縮して継続してたんですよ。妻からは「体に悪いからやめた方がいいよ・・」と言われてましたが、なんか何もしないのが良くない気がして、ついやっちゃうんですよ、燻製食品大好きだし、エヘヘ。
それで前回に引き続き、転院後リハビリ ですが、今回で記念すべき、堂々の10回を数える事と相成りました。これもひとえにわたくしノエルの努力の賜物、、じゃなくて、“読者の皆さんのお陰” です。ホントに思ってますって。
それではまいります。それこそ “必死こいて” リハビリしてたかいあって、食事がチューブ接種流動食(メイバランス流動食タイプ)から、経口摂取に! “めでたしめでたし” と思っていたら、最初の食事を見て“え!これは・・?” となりました。ご飯は米粒では無く “重湯に少しだけお粥を混ぜた物”、“野菜のほぼみじん切り”、“果物のほぼみじん切り”、”メイバランス経口摂取版” と言う、嚙まずに飲み込み可能な食事でした。うーん、物足りない!! 勿論、分かってはいるんです。経口摂取出来る様になっただけでも有り難い事だと。
これでも、早く口から食べたい、と毎日の様に ST(言語聴覚士) Mさんに意思表示しまくってた結果です。私があまりにもウザイので予定より早く評価する事になり、“笑わない主治医 Dr. S” と、Mさんが試験してくれました。
評価テストの様子。
放射線室の中、”水を飲む” から始まって “ゼリー、重湯、細かく刻んだバナナ” とかを少量づつ、ゆっくり食べる、飲み込む、ところを検査室横の部屋からDr. S が笑うことなくX線映像で確認しながら進めます。飲み食べするタイミング、量などは Dr. S のマイク音声で Mさんが私の横について的確に指示してくれます。Dr. Sが何か発する度に凄く冷静で厳粛な空気で部屋がみたされていきます。笑う事など許されません。X線(レントゲン)で、口、咽喉、食道の状況をライブX-Ray動画で誤嚥が無いかを確認します。10~15分かかったと記憶してますが、私の正面について世話してくれた Mさんは、その間X線を浴び続ける事になります。これ、いくら防護ベストを着用しているとはいえ、瞬間的なキャプチャーでは無く、一定時間被ばくしっぱなしの動画撮影というのはイヤだろうな、と思いました。 こんな我儘でいい加減な私なんかの為に、Mさん、本当にごめんなさい。そして本当に有難う御座いました。
日々、医療現場で実務に携わっている大勢の人達の、この上ない献身が無ければ、私、「右麻痺 “かたわ者” ノエル」 は、こうしてこのサイト作って発信することも無かったことでしょう。感謝あるのみです。こうして嚥下テストに無事合格しました。
経口摂取出来る様になると、ナースセンター横の患者食事スペースで他の患者さんと一緒に食事する事に。たしか12~13人いたと記憶してます。最初の3日間程は、MさんかAさん(作業療法士)が、食事開始後5分程度、喉に詰めて死なないかを確認しに来てくれました。そう言えば、2日目の朝食時、がっついて食べてたら、Aさんが慌てて「あ!ああ!右麻痺さん、もっとゆっくり!そんな急がないで!ちゃんと嚙んでから飲み込んで下さい」。わたくし、初日の昼食、夕食までは、口から食べられる喜びで、重湯もスープも野菜の煮物も噛んで味わってたんです。これが病院食なのに美味いんですよ。でも翌朝は腹空きすぎてて、みそ汁が熱くないのを確認した次の瞬間そのまま喉を鳴らして “ゴキュゴキュ” と飲み干し、(カァーこりゃうまか~)と、重湯も続けて “ごくりんこごくりんこ・・・” とやってた最中、Aさんに発見された。”あ、こりゃいかんばい、つい、、” 以降、看護師さん、療法士さん、介護士さん達、皆から、「食べ物は飲み物じゃないですよ。飲まずに食べましょうね」と監視対象となったのでした。サンドウィッチマンかよ!
今回のリハビリの様子はこんなもんで次回に続こうかなと。
最近、リハビリと入院とかに関係ない話題が多かったので、久しぶりに入院生活編でも。転院していつの間にか一ヶ月弱が過ぎました。個室に入っていたのですが、わたくしめの身分で個室入院は分不相応です。婦長さんに、いつから相部屋に移れるのかをたずねたら、「3日後」との事。何でも相部屋は満室御礼だったんだって。引っ越し先はナースセンターから2部屋離れた6人部屋の窓際。当時の妻に「やっと相部屋に移ることになった」と電話で報告したところ、「えー!まだ個室ににおったと?」と驚いたこと。金銭的なことも有るので、病院に確認したところ、私の数日前に入院した患者がいて、相部屋に空きが出たらその患者さんから順番で個室からお引越しと言う事だったらしい。お金持ちだったら気にしなくても良かったんだけどね。コロナ対策簡易隔離は、私だけではなかった。
で、この頃で転院直後と変わった事と言えば、入浴。それまでは横なったままで風呂場に運ばれて、裸にしてもらい洗浄台で横になったまま全身頭髪を洗浄されておりました。それが以下の手順に変更
1.車椅子に乗り脱衣室へ(私の場合、病室で下着だけになり脱衣室でのプロセスと時間短縮)。車椅子のまま侵入。車椅子に座ったまま、或いは壁の手摺に掴まり立ちして裸に。上半身(シャツ)は自力で脱いで、下半身は介護士さんに脱がしてもらう。
2.裸になったら車椅子で風呂場シャワーの前に移動。手すりにつかまり立ちすると車椅子は後ろに引かれて代わりに座ったまま会陰部が洗える椅子がセット。それに座る。
3.恐れ多くも介護士さんにボディー、ヘアーを洗浄して頂く。このとき椅子から落ちない様、健側手は手摺を離さず握っておく。
4.洗浄終了したら立ち上がり、椅子と車椅子が入れ替わり、車椅子に座って脱衣室に出る。
5.出来るだけ自分で体を拭く+介護士さんが手伝ってくれる(ドライヤーで髪も乾かしてくれる)
6.病室に戻る。
という流れで、正に “流れ作業” でした。しかし洗浄台に横たわって洗われるのと大きく異なります。この手順で2回(一週間)続けた後、3回目から介護士さんに、”水鉄砲 & 噴火口” は自分で洗いたい申し出ました。そばにいた看護士さんが「そしたら私が横についてますから自分で洗ってみて下さい」。手摺を強く握りめていた左手をそぉっとはなし、自らゆっくり洗います・・・看護士さん介護士さんが「右麻痺さんやったぁ!自分で洗えるやん!」と、嬉しそうな声で叫び、拍手喝采。恥部を洗っただけでこんなに喜んで頂いて恐縮至極でございました。 私が入所じゃなくて入院していた病棟でお世話になっていた介護士さんと1名を除く看護師さんは、皆 Lady、Madam、Female、そしてわたくし、右麻痺ノエルは、一応 Male、Man、Guyなのです。もち、たった一名の看護師さんか、男性OT(作業療法士)さんが入浴介助に着くことは稀にありましたが、洗体は、ほぼLady、Madam、Femaleの方々。その方々にわたくしめの “粗末で醜い水鉄砲” とか “臭く汚らしい噴火口” などを洗って頂くのは、畏れ多く不本意でもあり、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。こうゆうのもリハビリの一つですよね。
ちなみに、このころの私の生活動作は、介助なしでベッド上に起き、座れて、車椅子に乗り移りが出来て、ベッドとか車椅子に座った状態から手摺に掴まり立ち上がり、そのまま立った状態を維持できる。加えて下着やスウェットパンツの着脱が出来る様に。ただ、半袖の下着やTシャツは自分で着れても長袖は駄目でした。右腕(麻痺側)が袖に通せないのです。これ読まれてる方で片麻痺の当事者や介助されている方には、あるある だと思います。脱ぐのは、先に健側を抜いてしまえばあとは健側で麻痺側の袖を引っ張ればできました。それとパジャマとかのボタンも健側手で留め外し出来てました。その他衣類の着脱に関しては、現在も同じようなもんです。あ、長袖のTシャツ等の衣服は二ヶ月程で着れる様になりました。コートなどのファスナーは、退院後半年程たってやっと。それもしっかり大型のファスナーじゃないと閉じられません(今でも)。あと、パンツ、ズボン、ソックスを立ったまま着脱することも出来ません。必ず椅子とかベッドの縁に座ってでないと駄目ですね。
トイレは単独使用の許可が出ず、まだナースコールして介護士さんか看護師さんに車椅子を押してもらい、トイレ入室後、下半身丸出しにしてもらう。用済み後は呼び出しボタンで呼んで下半身に着衣、ベッドへ戻る、が必要でした。要するに手摺かなんかに掴まらないと、立っちゃダメ の状態です。
あともう一つ、転院して数日後、OT AさんとPT Sさんが病室に来て、「右麻痺さん、右肩ば亜脱臼しとうとですけど痛みやらなかですか?」と聞かれました。「んー、痛いちゅうかダルうておもとうしてしびれとう。。なんかにぶー痛いちゅう感じ」「そいやったら三角巾でつったが良かごたぁ」とSさん。Aさんが三角巾持ってきててすぐその場でつけてくれました。この麻痺側肩の亜脱臼は、その後良くなることなく、今も続いている、と言うか、痛みが酷くなってきました。発症から5年以上経過してますが、三角巾復活かサポーター買うしかなさそうです。でもつけるの面倒なんですよねェ。 さあ!
リハビリ続けてる皆さん、右麻痺ノエル は、退院後リハビリ、決してうまくいっているとは思ってません。でも、諦めてしまうと今以上にはならないと思っています。少なくとも自分には負けないように、
幸せは、歩いてこない だから歩いてゆくんだよ、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる、人生はワンツーパンチ、汗かきベソかき歩こうよ、あなたのつけた足あとにゃ、綺麗な花が咲くでしょう、 腕を振って足を上げて ワンツーワンツー 休まないで歩け ソーレ、ワン、ツー、ワン、ツー・・・・ 私がくじけそうにな時に口ずさむ、”365歩のマーチ” 水前寺清子さん でした。
この前、暴風雨で倒れてしまった日本米、4月21日朝の歩行訓練のときには、稲刈りされてました。周りの田んぼは24日の時点でまだです。やっぱ日本米はデリケートなんですかねぇ。

稲刈り後の写真。
話変わって、下は、面白いので注文して日本にいる長女を受取人(私の日本の住所でもある)にしておいた。で今年の一時帰国(未定の予定)の時に受け取ろうと思ってたら、長女から連絡あって、子供たち(孫です)が、是非作りたいと。海賊船は長男6歳が、ねこハウスは長女8歳が作るんだと。ニャンコ一匹合わせて5人家族なんですよ。勿論、OKして私の分は新たに注文することに。


それではまた!
右麻痺ノエル
※これまでの配信内容は、人名以外はノンフィクションです。
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