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リハビリ転院後 その1

皆さん、こんにちは!

いかがお過ごしですか? 右麻痺ノエルでございます。このブログを読んでいただいて有難うございます。このサイトは、障害者も健常者も、今、絶好調な人もそうでない人も、入院中の人、その御家族友人の方々等、多くの人の気休めになれば良いなと、使い方を勉強しながら作っています。“おもろなぁ” と思ったそこの貴方も、もう少し堪えて最後まで読んでやって下さいませ。

記述が ”転院後” に進むのを機に、病魔に倒れてからの自分の略歴を少々。 5年前の9月に単身赴任先で脳出血を発症し埼玉の病院に緊急入院。2週間弱で地元九州の福岡に有るリハビリ病院に転院。半年間後に ”期限切れ” で退院して自宅横のクリニックでリハビリを継続。1年半ほどして、あんな事とかそんな事により痛恨の一撃離婚!家を出て一人暮らしを開始後、そんな事とかこんな事の為1年を経ずに引っ越し。そんで1年半後にタイに移住し、現在に至る。って、いったい何がやりたいんじゃお前は!と、自分で書いていて思いました。はい。でもタイ移住には、やんごとなき事情があったのです。これは本ブログのメインテーマなので別の機会にきっちり書きますね。

ではでは転院後リハビリへと進めます。

10月初めに転院したのですが、入院の諸手続きは、妻が全てやってくれました。新型コロナの影響で妻とは10秒くらいしか言葉を交わせず。厳密には対面面会は禁止されてましたが、病室への私の搬入と妻の出入りのタイミングの関係で実現したのです。と、後で看護士さんから聞きました。超短時間でしたが、どこかの元市長と違い秒数に小数点以下は付けません。

私:「いろいろと面倒をかけてごめん」

妻:「うん、大変やったけど大丈夫」

ナースステーション横での会話でした。妻とはここで分かれて私は即病室へ。妻は、私の入院中必要になる物(替えの下着とか歯磨きセット、現金等)を看護師さんに託けて、その後なんやらかんやら入院するにあたっての説明を聞いて病院を後にしたそうです。

私はというと、なんと贅沢にも個室!に搬入されたのでした! ”これは何かの間違いじゃなかろうか?” と、看護士さんに尋ねたら、新型コロナ対策でしばらくの間こちらで、とのこと。簡易的隔離ですね。この後、若い医師と看護士さんが来て鼻の穴から奥の方に、ながぁ~い針金綿棒をぐりぐりされてクシャミ3連発でコロナ感染検査実施。さすが大病院、1時間ほどしてネガティブの判定。そのスピーディーさ!に驚いていると、丸めてあったチューブの鼻の右穴に刺さっている方をヒュルヒュル伸ばして流動食バッグに接続。「お腹すいたでしょう」とキャスター付きのスタンドに吊り下げてバルブ解放で胃に少しづつ流し込まれるのが分かります。勿論全く美味しくない。次いで点滴用のチューブにもバッグせつぞぉーく。なんかまた自由を奪われた気がしてちょっと落ち込みました。”自分の口から食いたーい!”  そんな事を思っていると50歳代と思しき男性がやってきて「はじめまして。主治医をさせて頂きます S です。具合はどうですか?」「問題ありません。」今日は長旅で疲れているだろうから明日朝から検査する。今日はゆっくり休むように、と言われました。

それではおやすみなさいー。。。という感じで私の1日がかりの “出荷、運搬、搬入” が完了。

時は変わってタイの自宅。今回の記事は今日(3月15日)で3日間かかって書いてます。それで今の妻の母親、義理母ですが彼女が一昨日、向かいの家の庭でつまづいて転倒。左手を地面についた時に痛めたみたいで、そこが今朝も変わらず痛いと言うので、市立病院に妻が連れていきました。それがさっき帰って来て ”骨に異常なし” だったとのことでホッとしました。ちなみに義理母89歳です。今でも雨さえ降らなければ一人で杖ついてご近所さんへ歩いて行き友達と話して楽しんでます。義理父は6年ほど前に、、、。 どこの国でも女性の方が元気で長生きですね。

突然ですが、庭で見つけた蝶の写真です。うまくない文章を読んでしまった方へ、お口直し、になればと思います。

それでは次回また。

右麻痺ノエル

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